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環境ノートNo.5  諏訪湖の水質環境(1)

環境ノートNo.5  諏訪湖の水質環境(1)

 

まんぼう

 

  ホームページをブラウジングしていたら諏訪湖の「第7期湖沼水質保全計画」1)に巡り合いました。30年前から何度かかかわった諏訪湖の環境がその後どのように変化したか興味が湧き開いてみると、水質やアオコの状況が驚くほど改善されています。そこで、諏訪湖の環境変化の歴史をもっと知るため、沖野・花里編の「アオコが消えた諏訪湖」2)を図書館で借りて読んでみました。諏訪湖の水質環境に関する深い知見がちりばめられていて、私の貧しい知識が大きく書き換えられました。諏訪湖にかかわった思い出を交えながら今回はその一部を皆さんにもご紹介したく、本の紹介のようになってしまいますが筆をとりました。  諏訪湖の水質、浄化対策、沿岸の修復、今後の諏訪湖などをテーマに3回にわたってご紹介します。

 

 1.諏訪湖の歴史と水質の変化

  諏訪圏域は明治初期から製糸・醸造・精密機械工業の中心として栄え、そのシンボルでもある諏訪湖には地域の歴史・文化が育まれてきました。しかし、同時に、人口の増加による生活排水と産業排水が流入することにより、徐々に栄養塩が蓄積し、1910年頃既に「中栄養から富栄養に移りつつある」2.1)状態だったようです。それでも1940年代後半から1950年代にかけては、「諏訪湖の水は見た目にはきれいで・・・水をそのまま手ですくって飲んでいた・・・恰好な水泳場であり・・・浅瀬の砂地でシジミやカラスガイなどを採り、家に持ち帰って食べていた」2.2)との記述もあります。

図-1 諏訪湖1)(対岸:岡谷市 手前左:終末処理場 手前右:上川)

  しかし、諏訪湖はもともと湖面積の割に集水面積が広いため*1)、生活排水や産業排水などの特定汚染源(図-4参照)だけでなく、広大な山林や農地など非特定汚染源からの栄養塩が集積しやすい地形です。諏訪湖の富栄養化は戦後の食糧増産と高度成長政策によりに進み、1960年代には「すす水」*2)で黒くなったり、アオコの異常発生で青緑色のペンキを流したよう状態が頻発するようになりました(図-2参照)。透明度は1970年代には最悪で0.5~1mとなり、アオコの為に落とした100円玉が沈まない、人工衛星からの画像を解析すると諏訪湖に草原のような島が見えるがそれはアオコであることがわかったという話もあります2.3)。この時の栄養塩濃度は、最大値でCOD=30mg/ℓ(1973)2.4)となり、湖沼類型Aの環境基準値3mg/ℓの10倍を示しました。また、全窒素は3mg/ℓ以上(1972~1990)となることがしばしば発生し、全リンも最大で0.8 mg/ℓ以上(1978)の値を示しました2.5)。ちなみに、現在の第7期湖沼水質保全計画(2018)1)における全窒素、全リンの環境基準は、それぞれ0.6mg/ℓ, 0.05mg/ℓですから、当時いかに汚染が進行していたか分かります。

*1)集水面積:諏訪湖の流域面積531.8km2は湖面積13.3km2の40倍あり日本一です2.7)。ちなみに琵琶湖は4.7倍、霞ケ浦は9.7倍で、諏訪湖はいかに非特定汚染源(面源)から栄養塩が集積しやすいか実感できます。*2)すす水:湖底の水が貧酸素により色が黒くなり、風により表層水が岸から沖方向に吹き寄せられると岸辺の水が減り、減った分を補うため底層の黒い水が風上側に移動し岸辺に沸き上がってきます。煙突の煤が浮いているように見えるから「すす水」と呼ばれるそうです2.8)

図-2 諏訪湖のアオコ3)

 

  アオコの発生から少し遅れますが、ユスリカの発生も1980年代から社会問題となりました。大量に発生して、湖岸の家の洗濯物や壁を汚す、ユスリカを捕食するクモが大発生してそのフンによる被害がひどい、旅館の窓にびっしりくっついて観光客に嫌がられるなど迷惑昆虫として嫌がられていました2.6)。湖岸周辺の人家やホテルの集中など諏訪湖周辺の湖岸開発に伴い、人とユスリカの生活行動圏が重なりあってきたのが原因だと考えられています2.6), 5)。さらにユスリカの虫体成分の微粒子により諏訪地域にもアレルギー疾患、喘息などが報告されているようです2.7), 6)

図-3 ユスリカの蚊柱4)

2.諏訪湖の浄化対策と効果

   このような諏訪湖の環境を改善するため、諏訪湖は1986年(S61)湖沼水質保全特別措置法に基づく指定湖沼に指定され、以降、35年7期にわたり様々な浄化対策の取り組みが行われ今日に至っています。

  図-4は汚染源の一般的な分類を示します。汚染の低減対策には様々なものがありますが、ここでは諏訪湖での代表的な対策として、下水道整備(特定汚染源対策)、底泥浚渫(内部負荷対策)を中心にして説明しましょう。

 

図-4 閉鎖性水域の汚染源の分類

 

<特定汚染源対策:下水道の整備>

  諏訪湖の水質を改善するために、1968年(S43)の「諏訪湖流域下水道計画打ち合わせ」を基に、流域の市町村に公共下水道を整備する流域下水道計画が立てられました。これは市町村の下水を流域幹線管路に導き、諏訪湖の南岸にある豊田の処理場で処理した後、処理水を湖底に配置した排水管を通して釜口水門付近で排水し、周辺の湖水と混合した上で天竜川に放流するものです。1971年(S46)より事業費1080億円で下水道事業が始まり2.9)、1979年(S54)には豊田終末処理場(1993年クリーンレイク諏訪に改称)が完成して下水道の部分的供与が開始されました。当初の下水処理方法は、「標準汚泥活性法」による有機物除去だったのですが、その後、窒素、リンの除去率を高めるため、2004年までにいわゆる「高度処理」の改良が施されました2.10)

  特定汚染源対策としては、下水道の整備のほか、条例による事業場の排水基準の強化、湖沼法に基づくCOD、全窒素及び全リンの汚濁負荷量規制など、家庭や事業場などの汚濁負荷の削減を進めています。

 

<諏訪湖の思い出1>

  1994年頃豊田終末処理場の湖底管の沈設作業を見学に行きました。内径1.5mの鋼管をコンクリートでコーティングしたものを湖底に沈設しては既設の管と接合するのですが、所長さんは、水中は濁りのため真っ暗でダイバーの視界がゼロの中での作業に苦労しておられました。仕事が終わった後、湖畔のお蕎麦屋さんでご馳走になった「そば」のおいしさが忘れられません。

<非定汚染源対策>

  非特定汚染源(面源)対策としては、森林整備、道路清掃、農地における化学肥料の削減などの対策を行ってきました。特に、農地での減肥料は生産者との合意が必要です。第7期湖沼水質保全計画では、化学肥料・化学合成農薬を原則5割以上削減して栽培を行う「信州の環境にやさしい農産物認証」への取組支援や、化学肥料・化学合成農薬の使用を低減する「エコファーマー」の認定などをうたい、生産者の意識啓発を行っています1), 7)

 

<外部負荷対策の効果>

  諏訪湖への流入負荷低減対策と水質の変化の様子を図-5~図-7に示します1)。図-5によれば、1979年(S54)の流域下水道一部供用開始以来、下水道普及率が上昇しそれに応じるように、6~9mg/lであったCOD値が低下を始め、2016年(H28)には4.4 mg/ℓにまで減少していることがわかります。下水道普及率は2016年で98.9%に達しています。図-6の全窒素、図-7の全リンの濃度変化でも、同様の低減傾向を示しています。前出した沖野・花里(2005)2)によれば、諏訪湖の水質浄化のメカニズムを評価するため、諏訪湖全体の数値モデルが作られています。2001年のデータを対象にして、下水道事業が特定汚染源からの外部負荷量を削減した削減率を計算した結果、CODで81%、全窒素で85%、全リンで91%に達したことが示されています2.11)。いかに下水道の普及が諏訪湖にとって重要であったか改めて理解できます。

  諏訪湖環境の目に見える改善としては、まず、透明度が挙げられます。透明度は1910年頃1m(夏季)~2.7m(冬季)であったものが、1970年代は0.3~1.2mと悪化しました。しかし、下水処理場の稼働(1979)後、1983年頃から最大値が1.5mを超えるようになり、1993年には最大値が2mに達することも多く現れるようになりました2.12)

  さらに、下水処理場が稼働してもしばらくは毎年大量に発生していたアオコが1999年激減しました。また、ユスリカは1998年に激減しました。山本・花里(2015)8)はこれら生態系の突然の変異を「レジームシフト*1)」と呼んでいます8.1)。この突然の改善は、水質改善に伴い、諏訪湖が「貧栄養化」するのと期を一にしており、その後も現在に至るまで続いています。

 

図-5 諏訪湖の水質浄化対策と水質の変化1)

図-6 諏訪湖の全窒素濃度の変化

図-6 諏訪湖の全窒素濃度の変化1)

図-7 諏訪湖の全リン濃度の変化1)

*1)レジームシフト:生態系は食物連鎖の複雑な相互関係のバランスのもとであるレジーム(体制)で生存しているが、その中の環境因子がある閾値(しきいち)を超えると突然別のレジームに移動することをレジームシフト8.1)と呼んでいるようです(まんぼうの理解)。水産生態の分野では、50年交代でマイワシやカタクチイワシの資源量が大きく増減しますが、この入れ替わりをレジームシフト=魚種交代と呼んでいます。

 

<内部負荷対策:浚渫>

  諏訪湖の外部負荷対策と並行して、内部負荷対策の主要な柱として底泥の浚渫が行われました。浚渫の最大の目的は、湖底に眠る栄養塩を含んだ底泥(水の乱れで浮上しやすい腐泥)を除去して、植物プランクトンの栄養源となる窒素、リンが底泥から水中に溶出することを防ぐことです。

  第一期浚渫事業は1969-1980年にわたり2.7km2、土量151万m3、事業費は23億円にのぼりました。しかし、第二期浚渫事業は事業費252億円で1981年に着手されましたが、2002年土捨て場が見つからないという理由で中止されました2.13)                                           

  ここで、浚渫事業の効果がどれだけあったのだろうか、第一期浚渫事業について簡単な考察をしてみましょう。面積2.7km2は諏訪湖全体の面積13.3 km2の2%です。この面積を11年間かけて浚渫するのですから、1年間の浚渫面積は高々0.18%に過ぎません。1年かけて全体の0.18%の面積を浚渫しているうちに、河川からの流入負荷に加え、諏訪湖内で発生したアオコやその他の植物プランクトンが枯死し、新たな沈殿物(新生堆積物)となって沈降します。さらに、栄養塩の水中への回帰は新生堆積物からの溶出が多いこと、浚渫後のくぼみに他の場所からの泥が流入することなど2.14)の要因から、浚渫の効果はかなり限定されることが想定されます。

  前出した諏訪湖数値モデルを使って、浚渫事業による栄養塩の削減効果を見てみると、2001年(H13)のデータに基づく全窒素の削減率は17%、全リンの削減率は19%でした2.11)。下水道事業の削減効果には及ばず、投資対効果の面で浚渫の意義は再検討の余地があるかもしれません。

  加えて、第1期浚渫事業には苦い経験があるようです。計画当時は水生植物に対する理解が十分でなく、有機物である水生植物が枯死して分解されれば栄養塩が水中に溶出してくると考え、沿岸から水生植物の生育限界である水深2.5mまでを浚渫範囲とし、底泥と一緒に水生植物を除去する計画としました2.15)。その結果、栄養塩の吸収機能と植物プランクトン発生の抑制機能を併せ持つ水草による水質浄化機能を喪失する結果となりました。この問題については、次回の諏訪湖の水質環境(2)で触れるつもりです。

 

<参考文献>

1) 長野県(2018):諏訪湖に係る第7期湖沼水質保全計画, 19p., 2018.3

2) 沖野外輝夫・花里孝幸編(2005):アオコが消えた諏訪湖 人と生き物のドラマ, 信州大学山岳科学総合研究所, 信濃毎日新聞社, 319p., 2005.10

2.1) p.16, 2.2) p.29,  2.3) p.30, 2.4) p.35図4, 2.5) p.40図8, 図9, 2.6) p.270, 2.7) p.28, 2.8) p.29, 2.9) p.109図1, 2.10) p.111, 2.11) p.187 図10, 表4, 2.12) pp.32-34図1-図3, 2.13) pp.131-132, 2.14) p.137, 2.15) pp.128-137

3)ホームページ:https://komin.blog.ss-blog.jp/2016-07-30

4)アース製薬ホームページ:https://www.earth.jp/gaichu/wisdom/sonota/article_001.htm

5) 平林公男(1991):諏訪湖地域における”迷惑昆虫”ユスリカの大発生とその防除対策 第1報:アカムシユスリカ(Tokunagayusurika akamusi)成虫の大量飛来, 日衛誌(Jpn.J.Hyg.)第46巻, 第2号, pp.652-661, 1991年6月

6) 平林公男(1993):諏訪地域におけるユスリカ喘息の血清疫学的研究, 1993年度科学研究費助成事業申請書

7) 長野県(2003):第4期諏訪湖水質保全計画, 19p., 平成15年2月

8) 山本民次・花里孝幸編著(2015):海と湖の貧栄養化問題 水清ければ魚棲まず, 地人書館, 194p., 2015.3

8.1) p.9

 

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